『なめられてたまるか』のその先にある私の決意

仕事と私

「なめられてたまるか」と強がってみたところで、現状が変わるわけではありません。
たとえ、それを面と向かって言えたとしても、相手が一瞬ひるむだけかもしれません。
もし、それで相手が変わったとしたら、そもそも、ただ謂れのない言いがかりをつけられていただけだったのでしょう。
きっとその相手も、自分より弱そうな人を見つけて「自分は強い」と思いたかっただけなのだと思います。

「なめられてたまるか」という感情自体は、決して悪いものではないと私は思っています。
それは、内省のきっかけをくれる感情だからです。

なぜ私は、こんなにも惨めな気持ちになるのだろう?

私の場合、“自己肯定感”が低いからです。
もともと気が小さくて、言動がオドオドしてしまう。仕事の覚えも悪い。
まして、間違いを指摘されたり、「これはどういうことですか?」と質問されたとたん、アタフタして頭が真っ白になってしまうのです。
人の顔色を伺いすぎてしまうところもあるのかもしれません。

「なめられてたまるか」という気持ちを、ただの遠吠えで終わらせないために、私は何をすべきなのか。

振り返れば、私はずっと“自分を守ること”ばかり考えていて、相手が本当に求めていることに、気づいていても向き合おうとしませんでした。
正確に言えば、気づいてはいたけれど、できなかった、そしてやってこなかったのです。

今の私に必要なのは、自分の内面を整えること。
たとえ心の中は不安や緊張で揺れていたとしても、表面的には落ち着いて見えるように振る舞うことです。
そんなふうに振る舞うことで、少しずつ心そのものも落ち着いていくことに気づきました。

自己防衛ではなく、相手に冷静に向き合う姿勢をとる。
そうすることで、状況も、自分自身も、少しずつ変わっていく、そんな状況が現実化しています。

実は最近、上司の態度が和らぐことが、1つ、2つありました。
なにしろ筋金入りの上司ですから、そう簡単には変わらないでしょうけど。

とはいえ、私はもう顔色ばかり伺うのはやめました。
現在進行形で「私は貴方のご機嫌を伺うために仕事をしているのではありません」と心の中で係争中です。

ただいま、「なめられてたまるか」から「なめるな」に移行しています。

この「なめられてたまるか」という言葉が、ただの強がりで終わらず、
“自分を育てるきっかけだった”と、いつか心から言えるようになりたいと願っています。


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