何か心にひっかかる出来事が起きた時、それをスルーできない自分がいませんか?
「なんであの人はあんな言い方をしたんだろう?私が何か悪い事でもした?」
「今のどういう意味?」「ん?今の嫌味?」
そんな考えが頭の中をグルグルと駆け巡ったりしませんか?
人はこれを無意識でやっています。頭の中で、問題を大きく捉え過ぎていることにも気づかずに、さらにどんどん膨らませていきます。
問題を大きく捉えがちな人の性格
問題を必要以上に大きく考えてしまう人には、こんな特徴があるかもしれません。私のことを例にあげるとこんな感じです。
相手の言動に敏感です。ちょっとした言葉に反応して、まず「自分(私)が悪いことをしたのではないか?」と考えてしまうんです。
最初は「何か引っかかる」から始まり、少しずつ「悪い事態」を想像して、徐々に不安と言うか不快と言うか、胸の辺りがモヤモヤしてきます。
「こう思われてたら嫌だな」「もっとちゃんとできたら良かったのに」と後悔したり、
「いや、そうじゃなくて・・・・」と頭の中で、言い訳じみた小芝居をしていたり。
「まだ起きてもいないこと」を想像して、「もう最悪」と嘆いたり。
終いには、相手に腹が立ってきたりします。
勝手にドラマを作り上げています。人様の前では言えないようなことでも、頭の中で考えることは、誰に聞かれるわけでもないので、恥ずかし気もなくダラダラと考えてしまいます。
見えない感情・伝わる感情
誰にも言わないから、聞こえているわけじゃないから、他の人に私の考えていることが伝わるはずがない!
果たして本当にそうでしょうか?
声に出して言わなくても態度に表さなくても その人の内面の感情は雰囲気で、周りに伝わったりします。周りの人が感じるものは、決して心地よいものではないはずですよね。知らず知らずのうちに、周りの人との間に垣根ができているような気がします。
文旦(ボンタン)を金柑(キンカン)に
ずっと以前、人の噂の広がり方を「キンカンがボンタンになる」と比喩した言葉を知りました。人の口から口へと伝わっていくうちに、事実よりも話が大きくなるということですね。
人の頭の中も一緒ですね。誰も止めないから、どんどん勝手に大きくなっていくんです。
どこかで止めないと。
文旦(ボンタン)になる前に、金柑(キンカン)に留めておく。というより、更に小さく小さくしたいものですよね。
これは本当に大きな問題?
感情的になっていると、「実はそこまで深刻じゃないこと」も、繰り返し繰り返し考えているうちに大問題級にしてしまいます。
「1週間後も気にしている?」「1年後にはどうでもよくなっている?」「何でもないことかも知れない?」 その程度のことかも知れないのに。
後から考えると繰り返し繰り返し考えていたあの時間は何だったの?と思います。
不愉快になったり、不安になったり、オドオドしたりしているその時間が勿体なく感じました。
深刻な問題なのか?深刻ではない問題なのか? 判断するのは自分自身です。
今すぐ解決しなくてもいい
今、答えがわからないなら、その感情は放っておいて、目の前のことに取り組みましょう。
仕事中なら仕事に集中する。食事中なら食事に。お料理をしているならお料理に。歩いているなら歩くことに、周りの景色に、感じる風に。テレビを見ているならテレビに。
信頼できる人に話してみるのも客観的な意見をもらえて良いと思いますが、すぐに話せる状況じゃなかったりしますよね。それに必ずしも客観的な意見かどうかもわかりません。
客観的な意見だとしても、自分に同調してくれなかったら、腹が立つ、この人は私の気持ちがわかってないと、さらに文旦級の感情が湧いてくるかもしれません。
なので、とりあえず頭の中で考えるのを止(と)めましょう。
キンカンの結果
頭の中のお喋りをやめると、感情が沈静化してきます。時間が経ってくると、冷静な自分が現れます。
「あれ? 意外と乗り越えられる!」という経験を得ることができます。
「感情をうまく処理できた!」という達成感が生まれます。
急に不安・不愉快になっても、「ちょっと待って、一度落ち着こう」と余裕が持てるようになります。
そうすると自分を取り巻く雰囲気も、良くなってきます。あの見えていないと思っていた感情の垣根が取れたのかもしれません。人との会話も増え、楽しくお喋りできるようになりました。
それと私の場合は職場です。他人の言動を過剰に気にしなくなるので、ストレスが減りました。仕事の内容を伝えるのに、落ち着いて説明できるようになりました。
この嬉しい経験と達成感を知ってから、どんな場面でも、自分の感情で問題を大きく捉えないように心がけるようになりました。