「もう3年も経ったのに、まだここを覚えてないの?」
って、自分にガッカリしてしまう時ってあるんですよね。
まるで、自分が前に進んでいないような気がして
悲しくなってしまいます。
やっぱり、もうこの歳だし、新しいことを
覚えるのって限界なのかな?
それとも、もともとの私の能力の問題?
高を括っていた私
何度も繰り返していれば、そのうち覚えるはず――
そう思っていた私がいました。
でも本当は、「なぜそうなるのか」を、
きちんと理解しようとしていなかったのです。
分からないところがあって、
誰かに聞いても、簡単な説明で終わって
もう一歩踏み込んで、聞こうとはしませんでした。
「忙しそうだから、いつかまた聞こう」
「こんなことを聞いたら、どう思われるだろう?」
気の小さい私は、上司にも聞けずに、
黙ったままやり過ごしていたのです。
理解しようとせず、
“そのうち覚えるだろう”と、
自分に都合のいい考え方で済ませていました。
本当は、聞かない理由を
自分で正当化していただけなのだと思います。
覚えるって、実は「順番」がある
まず「気づく」
次に「気にする」
そして「心に残す」
やがて「できる」に変わる。
「覚える」っていうのは、順番があって
詰め込むことじゃなくて、
何度も触れて、少しずつ“自分のもの”
にしていくことですよね。
私は今、心に残そうとしている段階です。
気づいて、気にして、
心に残そうとしているステージにいます。
それは、決してダメな状態じゃないと
思いたい。
本物の「覚える力」を育てている途中
だと思いたいです。
ちゃんと「できる私」になってからだ
ミスをして落ち込んでも、
私は休むことはしませんでした。
(パートの有給休暇は少ないし、
何より責任を果たしたかったから)
ちゃんと次に活かそうと思って、
気持ちを立て直して出勤していました。
仕事の覚え方は、
“のろまな亀”かもしれません。
でも、できなかった日にも、
きっと成長はあるはず。
それでも私は、
あきらめずに「覚えよう」としているから。
ここで辞めてしまったら、
「できなかった」という記憶だけが残って、
きっと思い出すのもつらくなってしまう。
だから私は、自分に言い聞かせてきました。
辞めるときは、“仕事ができる私”になってから。
自分で自分にかけたい言葉
できない日も、
わからないままの時間もあるけれど、
それでも心の中では、
いつも「できるようになりたい」と願っています。
“仕事ができる私”になれた日、
きっとこの日々を思い出して、
「頑張ってよかった」と思えるはず。
その日まで、焦らずに、腐らずに、
今日もまた、
自分にできることをひとつずつやります。
誰かに褒めてもらうよりも、
まずは自分で自分を認められるように、
納得できるように。
そんな「のろまな私」に、
頑張った日、落ち込んだ日に
この一言をかけてあげようと思います。
“まだできない”は、向き合ってる証拠