パート事務員さんの中途退職。
正職員さんの、リタイア。
夏の暑さが終わる頃から冬にかけて、仕事が忙しくなっていきました。
人手が足りなくなった分、私の仕事量も増えて、
自然な流れで、残業をするようになりました。
頑張ってる私って、カッコいい~
16時退社の私が17時、18時、時にはそれ以降まで、残業することもありました。・・・
16時上がりのパートさん達は
「もう4時よ。帰るよ」「今日も残業なの?」
親しい職員さん達は
「まだ仕事しているの?」
「大変だねぇ」って、声をかけてくれました。
私は、
「うん、今は人が足りないから」
「はい、今はしようがないです」
「人員を補充してもらえたら、良いんですけどね」
と、答えていました。
残業が始まった頃は、まだ気持ちに余裕があって
「職場の役に立っている私」
「パートの枠を超えて、仕事をしている私」
「頑張っている私、カッコいい~」
足早に駅に向かう自分が、誇らしくあるようにも思えていました。
秋から冬にかけて、暗さと寒さが私を沈ませた
秋の深まりとともに、日が暮れるのも早くなり
私が職場を出る頃には、外は暗くなっていました。
仕事の量は、一向に減りません。人員の補充もありません。
来る日も来る日も、仕事に追われる日々が続きました。
だんだん心の中で、「定時に帰りたい。」と思うようになりました。
親しい人には愚痴をこぼしたり、大変さを訴えてみたり。
そして、今までしなくて良かった仕事をしないといけない。
慣れていない仕事には、ミスがつきものです。(私の場合は、特にそう)
「え、それ、私のせい?」と理不尽な思いをしたこともありました。
いつしか、私の心の中には、
「退職」の二文字が、エンドレスで流れるようになったんです。
もし私が、もっとドライな人間だったら
残業を当然のように引き受けることはせず、
自分の勤務時間をきっちり守る。
「無理なものは無理」と静かに伝え、
周囲の期待や空気に流されず、自分のペースを保つ。
気の小さい私に、そんなことができるはずがありません。
それに、私の根底には
「役に立ちたい」という承認欲求。
「助けたい」という勘違いがあるのですから。
ドライな人間、クールな人間は、人のために仕事をするのではなく、
自分のために、自分の仕事をするのではないでしょうかね。
ちょっと必死すぎたかもしれない
周りから同情してもらえて、ちょっといい気分でいた私ですが、
ある日、フッと
「私って、もしかしたら仕事が遅いのかもしれない。
だから、残業をしなきゃいけない状況になっているのかも?
仕事が出来る人だったら、こんなに残業をしなくて良いのかも?」
という考えが浮かびました。
たしかに、仕事が忙しかったのは事実ですし、
私自身も、できるかぎり力を尽くしてきたという自負はあるけど、
周りは、そういうふうに見ているだろうか?と思いました。
この頃の私は必死過ぎて、自分の立場でしかこの現状を見ていなかったようでした。
たまには、労いの言葉をかけてもらえたら、うれしかった
残業が続く日々の中で、私は、
「定時に帰りたい」という気持ちがありながら
「大変なのは、私だけじゃない」
「職員さんに比べたら大したことじゃない」
「職員さんも余裕がないんだから」
と自分に言い聞かせていました。
でも、
「たまには労いの言葉をかけてほしい」
「頑張っていることを、言葉として現わしてほしい」と思っていました。
「いつもありがとう」
「助かってるよ」
そんな一言を、たまにでもかけてもらえたら。
きっと私は、ずっと違った気持ちで残業をしていたと思います。
信頼できる職員さんと、
「やっぱり、いくつになっても、褒めてもらいたいよね~」
「そんな考えは、甘いよね~」
と笑いあいましたが、
心の中では、木枯らしが吹いているようでした。
自分を自分で褒めたあげたい
春になって、日が長くなって、暖かい風が吹きはじめたころ、
仕事も、ようやく一段落し
私は、少し冷静に自分を振り返ることができました。
今は、誰かにわかってもらうためじゃなくて、
自分自身でちゃんと、あのときの自分を褒めてあげたいです。
カッコ悪くたっていい。
がむしゃらだったっていい。私は、私なりに、一生懸命だったんですもん。
働くということは、かっこよさだけじゃ続きませんしね。
ときに弱さも、さみしさも抱え、オドオドしながらも、
「ちょっとは褒めてもらえるんじゃないか」
「労ってもらえるんじゃないか」
と期待しつつ、自分に与えられた仕事をするだけです。
これからもきっと、同じことの繰り返しだと思います。
それでも、少しでも、カッコよい自分に近づくために
お仕事、頑張ります。