職場で私は、よく「優しい」って言われます。本当は優しくないんですよ。気が小さいから威張れないし、意地悪もできないんです。もし、私が物凄くお仕事ができたら、仕事ができない人に対して威張ったり、意地悪したりできるんですけど、威張ったり、意地悪できるほど、仕事できないもんね。
“私は気が小さくて怖がり屋”
そのせいで、「相手がどう思うか」に対して過剰なほど慎重になってしまうんです。
「意地悪をする」「威張る」なんて行動は、相手がどう傷つくかを考えて、というより、そんな態度をとったら、相手がどう反撃してくるかが怖いのです。
これは決して「優しさ」や「思いやり」からではなく、
「自分が何かして相手に嫌われることへの怖さ」の裏返しなんです。
“私には、スキルがない”
「できない人に威張れない」のではなく、そもそも自分は仕事ができてないと思っているので、
誰かに対して強く出る正当性がありません。
威張ったり、意地悪したりできるほどのスキルがないのです。
謙遜ではありませんよ。
“少しの“攻撃性”
威張る・意地悪をするには、仕事ができるという自信と少しの“攻撃性”が必要なのかもしれませんね。
少しだけ私を擁護できるとしたら、
過去の人間関係や環境で「争わないこと」「角を立てないこと」が大事だと感じてきた経験があるので、ついつい自分の感情を抑制してしまうことがあります。
それで、丸く収まることを無意識に選択してしまっているような気がします。
“先輩とは”
仕事が変わって、新しい職場に慣れなかった時、とてもキツイ言い方で指導されると辛かったです。その時、ネットをググっていたら、こんな言葉出てきました。
「職場の先輩とは、先に仕事を覚えて、それを後輩にわかりやすく教える人」
とても納得しました。でも、現実にはそういう人ばかりでは、ありません。
その言葉に納得したからと言って、何かが変わったわけではありませんが、
私の中でその言葉は生き続けています。
私もそういう先輩になろう!と。でも、相変わらず新人のように、オドオドした日々を送りながら仕事をしています。
“理想の自分とのギャップ”
今の仕事は、4月で4年目に入りました。今でも私は、相手の顔色をうかがいながら仕事をしています。理想は、自分に自信をもって、芯が強くて、人に優しくできる、余裕のある私なのですが。
理想の私とは程遠いです。でも、少しずつでも自分の思いや考えを言葉にして伝えていこうと、日々努力しています。