職場でお菓子を配られる時、どれを選ぶかで妙に気を遣ってしまう…そんな経験ありませんか?
「職場あるある」の話ですよね。
焼き菓子の詰め合わせと、ひと口サイズの“私の選択”
今日は、職場に、ある病院から、焼き菓子の詰め合わせをいただきました。
中には、ちょっと高そうなフィナンシェやマドレーヌ、ゴロッとしたバターケーキ……
そんな中で私は、そっと一番小さなクッキーを手に取りました。
もしかしたら、「遠慮しすぎじゃない?」って思われたかもしれません。
でも、私にとっては、それが“自然な選択”でした。
だって、あの大きいお菓子を手に取るなんて──
「私が取って、いいのかな?」
「他の人が食べたいって思ってるかもしれない」
「欲張りって思われそう」
そんな思考が、いつものように頭の中にスッと浮かんできたのです。
頭の中では、いろんなことを考えながら、私は迷うそぶりも見せず、小さなクッキーを取りました。
遠慮”という言葉に守られながら、どこか苦しくなる瞬間
あの瞬間、私はほんとうに“そのクッキーが食べたかった”のかな?
いいえ、違います。
どちらかといえば、「これなら誰も気にしないだろう」という自己保身の安心感と、
「大きいお菓子を取った私を見て、心の中で何かを思う」誰かへの無言の配慮が働きました。
日本には昔から、“遠慮は美徳”という文化がありますよね。
控えめでいること、欲を出しすぎないこと、自分より他人を優先すること。
確かに、その精神があるからこそ、私たちは礼儀や思いやりを育んできたのかもしれません。
遠慮と気配りは紙一重。
だけど、ときどきそれは、“自分の正直な気持ち”を遠ざける結果になってしまうんですよね。
小さなクッキーから見えてくる、わたしの輪郭
帰宅して、あの小さなクッキーを思い出しました。
とても美味しかったです。
そして、あの一瞬の「取る」「取らない」の選択の中に、
自分らしさが表れていたと気づきました。
「私は、そういう人なんだな」
「遠慮しながらも、ちゃんと私らしさを選んでいるんだな」
「たまには、自分の“欲しい”に手を伸ばしてもいいのかもしれないな」
「たかが焼き菓子じゃない!」
大きなものを取れない私も、
小さなものにホッとする私も、
どちらも、私なんです。
“遠慮”や“配慮”があふれるこの社会で、
ときどき自分の気持ちを置き去りにしてしまいます。
でも、今日、小さなクッキーを選んだことで、
こんなことを考えました。
“ちょっとの自己主張”をするのにも勇気がいるけど、
たまには自己主張をするのも、悪くないんじゃない?