「壊れるまで働かなくていい社会を、想像する」 

仕事と私

いずれ、何年か後には、
ベーシックインカムが当たり前になり、
「働く」という言葉の意味も、
今とはずいぶん違っているのかもしれない。

そんな未来があったら……
と、考えてみた。

正直に言えば、
今すぐそうなってほしい、と思っている。
もっとも、私は近々年金生活になる身なので、
できることなら年金と併用でお願いしたい。

もし、ベーシックインカムが現実的になったら、
仕事によるストレスや、
老後への漠然とした不安を、
今ほど真剣に抱え込まなくて済むような気がする。

朝、目が覚めた瞬間、
今日一日、嫌なことが起こらず、
無事にやり過ごせるだろうかと、
そんな考えがふっと頭をよぎる。

ミスをせずに仕事ができるだろうか。
今日は忙しいだろうか。

食べることの心配とか。
寒かったら、暑かったらと、
電気代のことを考える。

そんなことを、
毎日のように気にしなくてもいい日が、
少しずつ増えるのかもしれない。

私はまだ給料制で働いているが、
今の職場では、
体調を崩して休む人、
長期の病気療養に入る人、
そして退職していく人も少なくない。

職場は、常に人手不足だ。

誰かが抜けるたびに、
残った人たちがその負担を引き受けることになる。
私も、その一人だ。

パートは基本的に、
残業をしなくてよい仕事量、という建前になっている。
けれど現実には、
そんな規則は、ないことになってしまう。

それは大きな出来事として語られることもなく、
日常の延長として、
当たり前のように繰り返されていく。

「何とか回す」「分担する」
その言葉の裏側で、
無理が積み重なっていることを、
多くの人が感じながらも、口にはできない。

ベーシックインカムになれば、
「人間の尊厳はなくなる」と言う人もいる。

けれど、
それは「働かなくてもお金がもらえる社会」になる、
という単純な話ではないと思っている。

ベーシックインカムを導入することで
最低限の生活が、働くことと切り離される。
仕事は「壊れるまで続けるもの」ではなく、
「調整しながら関わるもの」へと、
少しずつ姿を変えていく。

社会も、最初から、
誰かが休むこと、抜けること、
思うように働けない時期があることを前提に、
仕事の量や人員を組み立てられることができる。

そうであれば、
休む側も、残る側も、
無理を抱え込まずに済むのではないだろうか。

私が思い描いているのは、
壊れるまで働かなくていい社会だ。

辞めるか、我慢するか、
その二つしか選べない状況から、
仕事から少し離れられる余地がある社会。

頑張りすぎなくても生きていける。
強さを競う社会ではなく、
余白を認め合える社会。

休むことが、
逃げでも敗北でもなく、
ただの調整として受け止められる社会であったらいい。

そういう意識が、
特別なものではなくなっていくことを願っている。

そんな未来は、
まだ遠いのかもしれない。
それでも、まだ来ていない未来のことを、
こうして一人、考えてしまう。

誰もが、
必要以上に自分をすり減らさずに、
生きていける社会になってほしい。

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