人は、目の前で起きた出来事を、感情的に判断しまいがちです。自分にとって望まない展開になった時は尚更、白黒を、はっきりつけたくなります。頭の中で、良い、悪い、正しい、間違っている、と審判を下します。
前記事で、「そうかもしれない」と決めつける前に、少し冷静になる時間を作り、「そうじゃないかもしれない」という選択肢をすると書きました。
それと並行するように、「相手を悪者にしない」ということも心掛けています。
それは何故かと言うと・・・・
ふと思うのです、本当に自分の感情が、正しいのだろうか?と。
人は不愉快な思いをすると、自分の感情の物差しで、相手を悪者してしまいます。そして、「自分は善良な被害者」にとって代わります。
私は「自分は善良な被害者」と思うことで、状況の原因を相手に押し付け、自分の非や未熟さ、誤解に向き合わずに済ませてきたことがありました。
でも、これでは、自分が成長することは有り得ないと気づきました。「私はこうしてきた」と胸を張ることができなければ、自信を持つことができないのではないかと思ったのです。
たとえ思うように物事が進まなくても、自分に敬意を持ち続けられる行いをすることで、自己肯定感を上げられるのではないかと思うのです。まして、誰かを悪者にしなければ、保たれない自分の尊厳なんて、本物ではありませんよね。
「相手を悪者にしない」という考えは、決して自己否定をするとか、相手に合わせるとか、偽善者ぶるのではありません。むしろ、相手を悪者にしないことで、事実と感情を切り分けられるようになり、相手の顔色を伺うことが、驚くほど減っていきました。
「相手を悪者にせず」、現状を冷静に判断し、正直に、誠実に自分と向き合い続けた先に、自分の尊厳が、少しずつ形になっていくものだと実感しています。