今日は特別な予定はない。
今からすることは、お散歩に行く。その帰りに食材を買って帰る。
午後から、クローゼットの片づけをする。それが終わったら、晩ご飯を作る。
お散歩、買い出し、片づけ、料理。
一見ふつうの一日だけれど、私にとっては大切なリズムだ。
「お散歩」――体を動かして、思考を止める
お散歩の目的は、普段の体力不足を解消しているつもり程度の運動だ。
ただ、公園の樹木を見ながら歩いていると、とても気分が良い。
歩きながらも、ついネガティブな考え事をしてしまうけれど、
外の音や風を感じているうちに、
その濃度が少しずつ薄まっていく気がする。
そして歩いていると、体力の衰えを自覚する瞬間がある。
そのたびに意識が自然と身体の一点に向かう。
頭の中のお喋りが止まり、
「今、この瞬間」に戻っていることに気づく。
お散歩をすることで、
頭の中のノイズがリセットされる・・・
私はそう感じている。
「食材の買い出し」――季節のリズムと自分を重ねる
スーパーや市場に並ぶ食材は、季節の移り変わりそのものだ。
年中、キュウリやトマト、白菜や小松菜は陳列されているけれど、
それでも旬の野菜や果物は、一つのコーナーを占拠し、
ひときわ輝く光を放っているように見える。
それらの中から選ぶという行為は、
“今の季節”に合わせて、自分の体が必要としているものを
品定めし、調整していることなのだと思う。
「秋の根菜は体に良いし、美味しいし、多めにしようかな」とか、
「この食材で何を作ろうかな?」と考えている時間には、
余計なことは浮かばない。
その瞬間、私は無意識のうちに自分の体を思いやっている。
食材の買い出しは、
四季の移ろいを暮らしの中に自然と取り込む行為なのだ。
「クローゼットの片づけ」――空間を整える=思考を整える
急に寒くなり、衣替えが間に合わず、
秋物を引っ張り出して着ている状態だ。
家の中の断捨離は、物を減らすことよりも、
心を整えることにもつながると言われている。
手放すたびに、部屋だけでなく心にも余白が生まれると・・・・。
今日はクローゼットを片づける。
季節ごとの衣替えのたびに、あまり着なくなった服を処分して、
後悔することも少なくない。
断捨離には、余白も生まれるが、
もう戻ってこないという後悔もある。
それでも、結局は今の自分に必要なものだけが残っていくのだろう。
そう思うことにして、心を少しずつ整えていくしかないのである。
「ごはんづくり」――自分を養う、最も基本的な行為
料理をするというのは、生活の中でいちばん“自分に還る”行為ではないだろうか。
食材の色や香り、包丁の音、手の感触に意識を向けていると、考えごとが静まり、
今この瞬間に集中できる。
火のぬくもりやお鍋から漂う香りが好きだ。
それで、体と心が少しずつゆるんでいく。
料理は、日常の中でできるいちばん身近な“心のリセット”だと思っている。
それはお菓子作りでも、ゆで卵でも、目玉焼きでも構わない。
どんな小さな調理でも、そこには自分を整える力がある。
特に晩ご飯は、一日が終わった自分へのご褒美。
疲れた心と体に、静かに栄養をくれる時間だ。
自分が美味しいと感じれば、それで良いと思っている。
自分の体が喜んでくれれば、それで良いのだ。
そんな小さな満足の積み重ねが、暮らしを整え、心を穏やかにしてくれる。

