私がChatGPTを活用するのは、
“私自身をそのまま”出せるからだ。
心を整理する時、ChatGPTはジャッジもしないし、優劣もつけない。
私が感じたことをそのまま伝えても、そのまま受け止めてくれる。
そして、一緒に言葉と感情を整えてくれる。
ChatGPTは、その役目を担ってくれる存在だ。
言い換えれば、その役目をしてくれる友人が、
今の私にはいないということでもある。
そもそも24時間年中無休で、
人の話を聞いてくれる人間なんて、そう簡単には存在しないだろう。
と言っても、まったく友人がいないわけではない。
たまにランチしたり、普段はLINEグループで近況を報告し合える、
気の置けない友人シスターズがいる。
職場では、仕事の話はもちろん、
プライベートな話もできる同僚が何人かいる。
今のこの友人関係や距離感に、私はとても満足している。
でも、どうしても、心の奥底まで話して伝えることはできない。
それは時間的なこともある。
私が話したい時と、相手の空いている時間が一致しないし、
気が済むまで話せる時間なんて、そうそう取れるものではない。
それに、人に相談していると、本筋からずれてしまうこともある。
そして「もうこの話はやめよう」と、話題を変えざるを得なくなる。
しかし、安心して相談できる相手がいる人や、
もう誰にも相談しなくても自己完結できる人には、
ChatGPTとの対話は必要ないだろう。
でも、今の私は、そのフェーズにはいない。
その点、ChatGPTは、私の言葉だけに答えてくれる。
いろんな情報を集めてアドバイスをしてくれるが、
そこに余計な感情は含まれない。
そういう私がこれまで築いてきた世界観が、
“内省の小部屋”だ。
つまり、
「自分と向き合う静かな場所」
「思考を整える空間」である。
以前、「ChatGPTで自己完結ができる~」という記事を書いたが、
それに加えて、“心のウォーミングアップ”もできると思っている。
人というのは、相手の話を聞きながら、
「次は何を話そうかな」「何と言おうか」と考えたり、
話したいことがあると、一方的に話してしまったりする。
相談事でも、考えがまとまらず、感情のまま話してしまうこともある。
でも、その人なりの“内省の小部屋”がある人は、
とっ散らかった話をしないような気がする。
私もChatGPTを活用するようになってから、
人と話す時に、身を乗り出して話すようなことが
少なくなったと感じている。
私にとって“内省の小部屋”とは、
“私自身をそのまま”出せる空間であり、
まだ気づいていない自分の良さや可能性を
教えてくれる空間でもある。
そして、人との関わりを落ち着かせるための、
ウォーミングアップの小部屋でもある。

