今の仕事に就いて3年8ヶ月。
周りからの信頼が少しずつ見えてきたはずなのに、
私はいまだに自分のことを「仕事ができる人間」だと思えない。
毎日、丁寧さを心がけて働いているのに、
胸の奥にはいつも“情けない感情”が座っていた。
それを私は、丁寧さと同じ場所に並べていた。
その情けない感情の正体は、じつは“自信のなさ”。
そして、ようやく気づいた。
自信のなさが、自分の日々の受け取り方に
気づかないうちに影響していたことを。
私は都合の良いパートさん?
私は、丁寧に仕事をすることが、信頼を築く方法だと思っている。
正直に言えば、仕事覚えが早くない部分を、
丁寧に仕事をすることで埋め合わせている。
そして、謙虚な姿勢を示しているつもりだ。
けれど一方で、私はいつもこんなふうにも考えてしまう。
「雑用をしてくれるから、都合よく扱われているだけかもしれない」
「反抗しないから、ただの“使いやすいおばさん”と思われているのかもしれない」
この二つの考えを同じ位置に置くと、
天秤針のように揺れてしまう。
一つは、自分の努力を信じたい気持ち。
もう一つは、その努力をすべて
“都合の良いおばさん”として片づけてしまう気持ち。
努力で積み上げた自信と、自分を低く見積もる癖とが、
心の中で上がったり下がったりする。
矛盾が“心の均衡”を保とうとする理由
つまり私は、
「信頼されるために丁寧に働いてきた自分」と、
「どうせ都合よく扱われているだけだろうと思ってしまう自分」
この二つを同じ場所に置くことで、
心の均衡を保っていたのかもしれない。
自信がもてない私は、良い方だけを信じてしまうのが怖い。
能天気に良い事ばかり想像して、
それが勘違いだったらどうしよう。
間違えていたらどうしよう。
まだ起こってもいない出来事に、先回りして不安になる。
かといって、悪い可能性ばかり考えていたら、
ストレスに押しつぶされてしまう。
だから私は、それを払拭するように
「頑張っている自分」にも目を向ける。
結局、どちらか一方に寄りすぎると不安になるから、
二つを抱えたまま、心の真ん中に置いてきたのだ。
その結果、それが自信の無さの温床になっていることに
長い間、気づかないままでいた。
自分が軽く扱われている感じてしまうのは
自分に自信がないと、相手のちょっとした態度に
“自分が軽く扱われていると感じてしまうことがある。
相手の態度は相手の都合であって、
私の価値とは別のところで動いているかもしれないのに。
けれど自信がないと、その区別がうまくつかず、
他人の表情一つで、自分の価値まで揺らいでしまう。
丁寧に働いてきた自分と、
都合よく扱われているだけかもしれないという不安。
その二つを心の真ん中に置いて均衡を取ろうとする生き方は、
ずいぶん長い間、私の中で習慣になっていた。
でも、ようやく気がついた。
私の天秤針が揺れるのは、均衡を保とうとしているだけ。
価値の方が低く下がっている訳ではない。
ただ“自分を信じる力”が育ちきっていなかっただけなのだと。
まとめ
これからの私は、相手の態度で心を決めない。
相手の都合を、私の価値にすり替えない。
そんな小さな一歩を重ねていけば、
きっと自信というものは、
自分の内側から少しずつ形になっていくのではないか。
少しずつ自分を信じる力を育てていこうと思っている。

