医療現場にいると、さまざまな人の人生にふれる機会があります。
その中で「入院費を払えない人」に対して
「かわいそう」と呟いたパートさんがいました。
それを聞いたパートの同僚は、怒り心頭でした。
その話を聞いて
「“かわいそう”って、どういういことだろう?」
私の中に広がる
「かわいそう」と呟いたパートさんに対するモヤモヤ感。
面と向かっては、言わなかったパートさん
私とは違う部署での出来事なので、
詳しいことは分かりませんが
そのパートさんは、面と向かって
「かわいそう」と言ったわけではありません。
その患者さんがいないところで発した言葉です。
「本当に“かわいそう”と思ったのなら、
なぜその気持ちを、ご本人に向けなかったのでしょうか?
もし患者さんから
何か問い返されたら?
ハッキリ説明できないのは明白です。
彼女の言動は、何を言わんぞやです。
「かわいそう」と思う心理の背景って何?なんなの?
「支払えない」という言葉だけで判断して、
病気のうえに、経済的にも苦しいと結びつけた?
「私は人に優しくできる人間でありたい」
と思うのは勝手ですが、
“かわいそう”と感じることで
ただただ自分の自己肯定感を
満たしているだけのようにも思えます。
その優しさが、自分本位で終わっていないでしょうか…?
相手を無意識に下に見てしまってはいないでしょうか?
相手の尊厳を奪っていないでしょうか?
助ける側に立ったつもりかもしれませんが、
図らずもその部署は、治療費を請求する側です。
そういうところに、気づいてほしいと思います。
本来の業務への気づき
支払えない人が何を感じているのか、どんな背景があるのか、
そこを知らないまま「かわいそう」と言う。
浅い想像から出てくる言葉は、軽いものでしかありません。
本来の仕事は、治療にかかった費用を正しく請求すること。
そこに「かわいそう」という感情を持ち込んでしまえば、
公平さも、医療の対価という意識も揺らいでしまいます。
仕事とは、ただ責任を果たすことで、
個人の感情はその中に織り込んでいくものだと思っています。
感情よりも仕組みで支えるのが、
私たちの役割なのだと、
あらためて気づかされました。
優しさは声に出さなくても、
姿勢で伝わることもあるのだと思います。