前回の記事で、コンフォートゾーンは気持ちがいい所、
ぬるま湯のように心地よい場所だと書いた。
でも、お風呂の湯加減は人それぞれかもしれない、と
思う場面に出くわした。
というのも、職場でこんなことが起こっていたからである。
ある人は、相手に対して怒り心頭。
「ありえなくな~い?」と声を荒げている。
一方で、その相手は静かに距離を取り、
関わらない。近づかない。できるだけ接点を減らす、
という態度をとっている。
その様子を見ながら、ふと思った。
これは、どちらもお互い様で、
それぞれが自分にとって居心地のいい場所に
いるのではないか、と。
コンフォートゾーンというのは、
一般的には「心地よい場所」「安心できる場所」と言われる。
けれど、心地よさだけが、
コンフォートゾーンなのではないのかもしれない。
怒っている人は、そこにとどまっている。
自分は正しい。相手が悪い。
そこから離れるつもりはない。
そう思える場所にいることで、
彼女の正義の天秤棒は、上下に大きく揺れながらも、
かろうじてバランスを保っている。
一方、距離を取る人は、
ミスを指摘されても、すぐには受け止められず、
相手の言葉を、自分の心を削るものとして感じてしまう。
だから避難場所を探し求める。
関わらなければ、嫌な思いをしなくて済む。
その場所にとどまることで、自分を守っている。
正義という怒りの渦の中と、
そこに関わらないための逃避の場所。
一見すると正反対のようでいて、
どちらも共通しているのは、
そこから動かない、ということだ。
人は、居心地がいいからそこにいる、
というだけではないのかもしれない。
慣れてしまった感情、
自分にとって当たり前になってしまった感覚の中に、
気づかないまま居続けていることもある。
怒ることに慣れてしまう。
不満を持ち続けることに慣れてしまう。
そしていつの間にか、
それすら当たり前になっていく。
コンフォートゾーンは、ぬるま湯だけではない。
その人にとっては、
決して居心地のいい場所、
とは言い切れないはずなのに。
無理に外に出ることもなければ、
引き出されそうになっても出ていかない。
そして、気づかないふりをする。
そうしなければ、
保てないコンフォートゾーンもあるのかもしれない。
そんなことを、ふと考えた。
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