日曜日の朝は、平日の朝とは違って、少し車の走る音が小さく聞こえます。
平日と比べると、通勤で走る車が少ないからでしょう。
通学する子供たちの姿もないので、歩道を歩いている人もほとんどいません。
まだ街が静かで、時間がゆっくり流れているようです。
それでも、太陽が昇ってきて、ギラギラ照り始めると、なにか急かされているような感じがしてきて、「何をしなきゃいけないんだっけ?」と、休みを楽しむどころではなくなってしまいます。
「月曜日の朝から」を逆算して、
明日、月曜になれば、嫌でも出勤や家事に追われて「やらなければならないこと」に心が支配されてしまいます。
だから日曜日の朝は、心を軽くする時間”にしたいと思っているのに、頭の片隅で「何時にお買い物にいこうかな?」「何か足りないものなかったっけ?」「今夜の晩ご飯は何にしようかな?」「一週間分の献立は・・・・」と、ついつい考えてしまいます。
「月曜日の朝から」を逆算して、今日の計画を立ててる私がいるのです。
そんなの心の休息にはなりませんよね?
そんなことが頭に浮かぶたびに「いや、違う違う。今は日曜日。今日はお休みの日」
と頭(かぶり)を振って、リセットします。
週の始まりに向けて
でも、週の始まりに向けて、日曜日のうちに、何をしておかなければいけないか。
それを考えるのも大事なことです。日曜日の動き次第で、平日のゆとりがうまれてくる訳ですから。
足りないものを買い足したり、食材を買ったり。
お買い物から帰ってきたら、保存食を作ったり、下ごしらえをして冷凍したり。
平日にゆとりを持つために、日曜日の午後を潰すというのも、休んだ気がしないので止めようと思っているのですが、止めてしまったら、晩ご飯はお惣菜になったり、お弁当はコンビニ弁当になったりしそうで止めることができずにいます。
「それでもいいじゃない!」って思えないんですよ。
今から伏線を張っている。
娘と同居してるから、「晩ご飯をお惣菜ですませたくない」とも思うんです。
私が今でも、母が作ってくれたお料理やその時のエピソードを思い出すように、娘にもいつか思い出す日がくるかもしれない。その時、温かい気持ちになってくれたら?とも思ったり。
それと、もしかしたら、そう遠くもない将来、娘のお世話になる日が来た時。
「あの時、ああしてあげたよね?」と、娘に恩を着せらるように、今から伏線を張っています。
今後の課題
私は、元来のんびりとした性格なのに、これに関しては日曜日のうちにきちんと済ませておきたいと思うんですよね。
「お惣菜でもいいじゃない」と思えないのは、「きちんとしていない自分」を見過ごせないんです。休むことが“怠け”に感じてしまうんです。
日曜日の朝、そして午後をどう過ごすかで、週の始まりの軽さは大きく変わります。
だからこそ、この時間を丁寧に使いたい――そう思いながらも、実際は毎週のように同じことを繰り返しています。
完璧にこなすのではなく、少し肩の力を抜いて向き合うこと。
それが、これからの私にとっての日曜日の課題なのだと思います。