前の記事「父が語った戦争の思い出」で書いたように、母もあまり戦争の話をすることはありませんでした。女性が直接、戦争に関わることはないので、話すような出来事がなかったのだと思います。しかし、後々母から私へ、思いもよらない戦争へと繋がる出会いがありました。
母が小学校の校庭で聞いた玉音放送
母が終戦を知ったのは、小学校の校庭です。
先生方も学生も皆んな校庭に呼び集められ、地面に膝まづき、玉音放送が始まるのを黙って待っていました。
やがて、昭和天皇の声が聞こえ始め・・・・
「日本は戦争に負けた」と分かったそうです。
周りの人たちは地面に俯っぷしたまま、すすり泣いていたそうです。
押し寄せてきた未知の恐怖
母は、その時とても怖かったと言いました。
「これから日本はどうなるのだろう?」
「私たちはどうなるのだろう?」
戦争と言うたださえ恐怖の中で生活をし、衣食住を制限させられていた日々。
これで戦争に負けたら、それ以上の、そして想像もつかない未知の恐怖が襲いかかってきたのだと思います。
それと同時に「日本は(戦争に)勝っていたんじゃないの?」と疑問も湧いたそうです。
その後、怖い噂が飛び交かい
「アメリカ兵がドッと押し寄せてくる」
「女の人は襲われるから、髪を短くして、男のようにしていないといけない」
「子どもでも女の子は、同じように髪を刈り上げないと危ない」等々・・・。
しかし、実際には、そんな悪い出来事は起こらなかったそうです。
母から私へ。沖縄戦への繋がり。
父や母から聞いた戦時中、戦後の話は本当に少なく、日本が戦争をしていたと実感することはあまりありませんでした。しかし、意外な流れで、戦争体験者の人たちと出会う機会が訪れました。
それは、今から35,6年前の話です。
母が師範学校に在籍していた時期に、沖縄から疎開してきて女学生の人たちがいらっしゃいました。その方々が、師範学校の人たちにお礼を言いたいということで、謝恩会を開くことにしたそうです。それに参加してもらえませんか?と、母に連絡が来たのです。
私は、ちょうどその時、沖縄に住んでいました。母も参加したいと言っていましたが、なにしろ沖縄から遠い所に住んでいますので、行きたくても行けない。と言う母に代わって、私と娘が参加せていただくことになりました。
沖縄の人たちにご招待を受けて
日本で唯一、戦争が行われたこの沖縄で、その戦争体験者の人たちと、どんな話をすれば良いのだろう?その人たちの話をどんな顔をして聞けば良いのだろう?と、私は緊張しながら会場に向かいました。
会場に着き、母の名前を告げると、母と同年齢だと思われる女性が、私の手を取り歓迎してくださいました。他の皆さんも口々にご挨拶してくださいました。そして、師範学校でお世話になったこと、内地(日本本土)の女学生の皆さんが優しくしてくださったことのお礼を言われました。
始終、明るい話で、私の手前かもしれませんが、暗い戦争中の話をされることはありませんでした。きっと、辛い事や口にできないご苦労があったことに間違いはありません。私の父のように、「こうして生きているのが申し訳ない」と心の中で思っている方も多いと思います。
それでも、「今、こうして生きているのだから」と、明るく務めているように感じました。
平和は有り難(えがた)いもの
この夏、母の三回忌が済みました。終戦記念日の5日前です。
母は、浄土で沖縄の女学生さん達と会ったでしょうか?
防衛力の強化をよく耳にするようになった昨今ですが、平和は永遠のものであってほしいと願わずにはいられません。
戦争を知らない世代の人たちに、親から子へ、子から孫へ語り継ぐことで、戦争がどういうものか知ることができます。
そして、平和がどれだけ有り難いものか考える機会をもってほしいと思います。
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