“気を遣わない”を選んだ後の、ちいさな解放感

心を軽くする考え方

1年半前に、今の職場に20代の正職員さんが入りました。
最初は距離感があったものの、次第に打ち解けていきました。

でも、4月の席移動をきっかけに、少しずつ会話が減って――
「あれ?私たち、こんなに話すことなかったっけ?」
と思ったことをきっかけに、私の中の変化に気づきました。

職場では気遣いも仕事のうち?

彼女は、私に
「気分のムラがないところが安心できる」と言い
私は、相手が年下でも正職員という
立場を尊重しつつ、仲良くやっていました。
親子ほどの年齢差に、
距離を感じない日もあれば、
ちょっと壁ができる日もあったり。

職場ですから、
そんなに親しくする必要性はないと
思っています。
ただ、スムーズに仕事をする上では、
気遣いも必要ですよね。

ちょっと不安な気持ちがあるのも、当然

会話が減ったということは、寂しいというより、
心の確認ができなくなったような不安があるんですよね。

以前の私は、
今まで築いた関係性を保つことで
安心していたい、
いい人でいたいという思いが働いて
何か話題を探して
話しかけていました。

沈黙は気まずくて苦手という
対人パターンもあります。

話さなくなった理由が、自分に原因があるのかも?
と気にしてしまい、繋ぎ止めておきたくなるのです。

「無理する必要はない」と、自分の心に気がついた

でも、今回は会話が減っていっても、
私は「何か話さなきゃ」と思うことは
ありませんでした。

気まずさを避けるための会話は疲れます。
無理に埋めなくても、
自然体のままでいられるほうが
心地よいですもんね。

それに沈黙=気まずさではないし、
たくさん話さなくても、
挨拶やちょっとした気遣いで
十分だと思えるになったんです。

相手に合わせるより、
自分の心地良さを基準にできるように
なってきたのかもしれません。

頑張らなくてもいい関係がある、
と経験から学んできた結果かもしれませんね。

それが自然に整理されてくる時

無理して好かれようともしない、
わざわざ嫌いにならなくてもいい。
その人とちょうどいい関係性を保つ。

会話が減った人との距離に、
ホッとしている自分がいるのなら
静かに離れていくことは、
悪いことではない気がします。

今、それが自然に整理されてきてるような気がします。

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