仕事がお休みの日でも、
いつもの時間に目が覚めてしまうことがある。
さっさと家事を済ませてしまえばよいものを、
ダラダラとネットニュースを見ているだけで、
一向に動く気にはならない。
体は目覚めても、頭と心はまだ“休息モード”で、
何もやる気が起こらないのだ。
パソコンの文字を追いながらも、
何をしようか悩んでいる。
「何もしない」というのは、
どうしても罪悪感を感じてしまうものである。
そうしているうちに、少し頭が目覚めてきたのか、
「10時過ぎたら、きのうとは違う公園に行ってみようかな?」と思い立った。
公園の敷地内には美術館もあるから、
明日は文化の日だし、何か催し物をやっていそうな気がする。
しかし、考えてみると、
「何をしようかな」という迷いは、
“休日のとても贅沢な余白”なのだと思う。
予定を詰めずに、その時の気分で動いてよいのだから。
世の中には、
自分のために時間を使えない人がたくさんいる。
例えば、私の上司が有給休暇を取る時は、
子どもさんの行事に参加するのであって、
自分のためではない。
私は、子育ても終わり、介護する家族もいない。
心の余白なんて、
意識して作ろうと思ってできるものじゃない。
私の今の余白は、断捨離して作った空白ではなく、
カレンダー通りにお休みがやってきて、
毎回ポーンと、そこに置いてあるのだ。
私の余白は、人生の流れの中で生まれた“隙間”みたいなものだ。
コーヒーを飲みながらニュースを眺め、
その合間に家事をしている。
そんな時間に罪悪感をもってしまうけれど、
そういう時間がもてるということは、
実はとても有り難いことなんだと気づいた。
人は、何かをしていないと
生きている気がしないようにできている。
でも、本当に大事なことって、
何もしない時間のような気がする。
そう思うと、家にいながら、
少しずつ「今日も悪くない」と思えてくる。
そんな日こそ、
心がいちばん整っているのだと思う。
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