仕事を退職する理由は様々だ。
「あの上司の言い方がキツイから私は辛かった」と
辞めていく人は多いだろう。
「仕事が出来るようになったら
キツイ言い方をされなくなるかもしれない」
と希望を持ちながら、奮闘する日々。
しかし自分の仕事ぶりから、
その先は果てしなく遠いように感じてしまう。
視点を変えてみる
「あの人は、他の人には普通に接しているのに、
なんで私には、あんなきつい言い方をするんだろう」と
何か人間性まで否定されたようで悲しくなることもある。
状況が許されればの話ではあるが、
あまりにも辛いときは退職を選んだ方が良い場合もある。
自分の心や体を犠牲にすることはないと思う。
今すぐに、仕事を辞められないのなら
少し、見方、視点を変えてみてはどうだろう。
「上司がきつい」訳ではない場合
上司は仕事を覚えないから
キツイ言い方になってしまうとは限らない。
恐らく、仕事をリズム良く進めたい、
それを狂わされることに対してのキツさだと思う。
仕事を覚える以前に、受け答えのリズムは大事だ。
例えていうなら、卓球やテニスのラリーのような感覚だ。
上司が求めているのは“ラリーができる相手”なのである。
教えてもらう側の人間は、
仕事の内容と上司の求めるリズムを
掴むと少しずつ楽になる。
卓球のラリーができるかどうか
ラリーができるということは、
- 指示を受けてすぐ理解する
- 状況の意図を読む
- 次の動きを予測する
- 必要な情報を返す
- 一連の会話がテンポよく進む
でも、返球が遅い、ズレる、打ち返せない。
これでは、調子が狂ってしまう。
上司はこのリズムの悪さにキツクなるのだ。
それは、仕事を早く覚えるとは別の事である。
必要なのは「自己理解」だけ
「上司が悪い」
「職場が厳しい」
「理不尽だった」
というストーリーで自分を守っている限り、気づけないことがある。。
必要なのは、
「自分の得意・不得意」
「守備範囲」
「能力の適正」
「環境との相性」
これを冷静に判断すること。
それができたら、次の道へ進める。
“誰も悪くない。相性の問題。”
実際は、上司のキツサではなく
仕事の要求レベルが、
自分の能力領域を超えていただけなのである。
これは誰が悪い訳ではない。
悪いのは職場でも自分でもなく、
相性と適性のミスマッチ。
これが大きな真実である。
上司は仕事を教える人以外の何者でもない。
仕事を教える人は、
あくまで「仕事を教える人」であって、
必ずしも「人を育てる人」ではない。
仕事は教えられても、
人を育てられるかどうかは、まったく別の問題なのだ。
人に教えられることは、
その人自身が
仕事を覚える過程でつまずき、考え、経験してきたことだけ。
経験を通して得たもの以上のことは、
誰にも教えられないのだと思う。
自分が努力して覚えたからこそ、
相手にも同じ努力を求めてしまうことがある。
厳しい上司のもとで働いたからといって、
必ずしも
「私は優しく教える側になろう」
と思えるとは限らない。
だからこそ、
自分は自分なりに、その上司を受け止め、受け入れる。
そして同時に、
自分自身の立ち位置や力量も、
感情ではなく、冷静に判断していく。
それが、働き続けるために
一番大切なことなのかもしれない。
💻関連記事はこちら👇


