ブログを書き始めた頃は、
書いたらそれで満足していた。
読み返しても、違和感が分からなかった。
ところが最近、
自分でツッコミを入れてしまうことが増えた。
投稿して読み返してみると、
「何が言いたいの?」
「急に話が飛んでいない?」
昨日の記事も、投稿したあとで
部分的に五か所、書き直した。
記事の下書きは、
自分の感情や感覚を吐き出しながら、
言葉に乗せていく工程なのだと思う。
書いている最中は、
自分が分かっている前提で書く。
だから話が飛び、背景を省き、
感情のつながりが頭の中だけで完結する。
どうしても、当事者の立場が強く出てしまう。
言い換えれば、
感情を吐き出せたことで、
それだけで満足して終わっていたのかもしれない。
けれど、投稿したあとに読み返すと、
今度は「読者の私」が現れる。
「え、今、何の話?」
「なんで急に卓球?」
「この一文、誰に向けて書いているの?」
そんなふうに、チェックが始まる。
下書きが
言葉に乗せていく工程作業だとしたら、
書き上げたあとに修正するのは、
読者に伝わる言葉に変える翻訳作業なのだと思う。
この流れをまとめると、
書いているときは「当事者の私」。
投稿したあとは「読み手の私」。
そしてさらに、
文章の構造を眺めている「もう一人の私」が現れる。
まるで他人事のように、
冷静に判断している自分がいる。
これは、文章だけの話ではない。
人間関係も、
仕事も、
人生の選択も、
きっと同じ構造なのだと思う。
昨日の記事にも書いたけれど、
「一歩引いて物事を見ると、
自分を否定しなくなった」
という感覚。
一歩引いて物事を見るというのは、
自分を冷やかに見ることではないし、
自分の感情を否定することでもない。
立場を少し替えて眺めてみるだけで、
今まで見えていなかった背景や、
別の選択肢が、フワリと浮かび上がってくる。
答えが変わるのではなく、
見える景色が変わる。
だからこそ、自分を責める必要がなくなり、
「そういう見方もある」と受け止められるようになる。
書くことも、仕事も、人との関わりも、
ときどき一歩引いて眺めてみる。
それだけで、自分の感情が
少し柔らかくなるような気がする。
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