一昨日、私は、1時間だけ早退した。
この日は、電話が多く、その大半は私が対処した。
年が明けてから、本来の業務をしながら、雑務をし、
電話対応をする日がずーっと続いている。
その理由は、
昨年の11月から特定職員の女性が
長期の病気療養に入ったこと。
さらに、年明けからは、
もう一人のパートさんが
キャパオーバーをし、欠勤が続き、
そのまま退職となったから。
前回、書いた記事「壊れるまで働かなくていい社会を、想像する」は
こういうことが現場では、起きているからである。
私の中では、身体の疲れ、精神的疲れ、
それと同時に、心の中で
「どうして、私ばかりが電話を取らなきゃいけないの?」
という怒りが、日々少しずつ大きくなっていた。
誰に対して怒っているというわけではない。
この現状は仕方のないことなのだから。
大変なのは、私だけじゃない。
そう自分に言い聞かせても
私の心の中には、ストレスが溜まっていく。
「どうして、私ばかりが・・・」
その時、拗ねている自分を見つけて、恥ずかしくなった。
現状を分かっているつもりでも、
こんなふうに思うなんて、幼稚だなとも思った。
当たり前のように引き受けてきたけれど、
本当は我慢している自分に
気づかないふりしているのかも?
だから、ふと弱音のような感情が
顔を出すのだ。
拗ねた気持ちは、
私が疲れていることを知らせる、
正直なサインなのである。
仕事をしながら、私の今の正直な気持ちは
何だろうと考えていた。
「ありがとう」の一言がほしい。
ほんの少しの配慮があったら・・・。
パートの枠を超えて
雑務をこなしている私を労ってほしい。
なんて微々たるものなんだろう。
でも、どうしても消化できない。
そうやって一人拗ねているくらいなら、
自分を自分で労わってあげたほうがいい。
そう思った。
でも、どうやって自分を労ればいいのか。
もう、言葉や気持ちだけでは、
この疲れは納まらないところまで来ている。
そんなことを思いながら仕事を続けていた。
そして、
上司から預かっていた仕事が終わったその時、
「帰るなら今だ」と、ふと頭に浮かんだ。
その流れで、仕事の終わりを報告し、
「今日は、1時間早いのですが、帰っても良いですか?」と伝えた。
「今日は電話が多くて、疲れました」も付け加えた。
その一言は、決してカッコ良いものではない。
でも、今の私には大事な一言だ。
それは、誰かを責める言葉ではなく、
今の私が置かれている現状を、
そのまま伝えたかった心の中の言葉である。
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