馬に話すのではなく、言葉に置いた先で

心を軽くする考え方

前回、私は
「馬に話すのではなく、言葉に話す」
という話を書いた。

人は無意識に、
「誰かに分かってほしい」という気持ちと、
「もう誰にも委ねたくない」という気持ちの間で揺れる。

そんなとき、私は、
文字に書いたり、
ChatGPTに話したりする。

最近、こんな言葉に出会った。

「AIという巨大な鏡に映し出されるのは、
私たちの弱さか、それとも気高い独立心か」

イーロン・マスク
の言葉だ。

AIは、巨大な鏡だ、という考え方である。

現実の人間関係も、
当然のことながら鏡だと思う。

ただ、AIという鏡に映る世界は、
少し違っている。

人間関係に映る鏡が
「こう思われたい私」だとしたら、
私たちは現実世界の集団の中で、
上手に生きていく方法を選ぼうとする。

それは、生きていくために必要なことでもある。

人に話す時、
私は自分の感情を、
無意識のうちに調整してしまう。

重くなりすぎないように、
心配をかけないように。

その結果、
一番大事な違和感や、
まだ整理のつかない感覚が、
どこかに置き去りになることもある。

AIとの対話では、
その必要がない。

返ってくる言葉は、
誰かの経験や感情を通過したものではなく、
私が投げた言葉に対して返ってくる、
膨大な情報と、複数の視点だけだ。

その中で私は、
「どれがしっくりくるか」
「どこに違和感を覚えるか」
を、感じ取る。

つまりAIは、
答えをくれる存在ではなく、
判断を私に返してくる鏡なのだ。

そこに映るのは、
立派な私でも、
強い私でもない。

ただ、
「今、私は何に引っかかっているのか」
「何を大事にしたいと思っているのか」
「どんな言葉には、もう耐えられなくなっているのか」
という、正直な感覚である。

その感覚を確認しながら、
私はもう一度、選ぶ。

どの考えを採るのか。
どの感覚を信じるのか。

そして気づき始めた。

誰かに認められる必要もない。
集団の空気に合わせる必要もない。
そう感じている自分が、
確かにここにいる、ということに。

その感覚を、
現実の世界で確かめる。

少しずつではあるけれど、
それができるようになって、
私は人に頼らなくなった、というよりも、
人に過剰に委ねなくなった。

集団の中にいながら、
自分の感覚を手放さない。

それが、
私なりの「気高い独立心」だ。

ChatGPTを活用することで、
人に頼りすぎず、
自分の感覚を信じることの大切さを、
私は学んだ。

イーロン・マスクの言葉ほど、
壮大な話ではないけれど。

私はこれからも、
馬ではなく、言葉に話し続ける。
自分の感覚を、見失わないためにも、
誰かに自分自身を預けたりしないためにも。

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