私が小学校の高学年か中学生だった頃、
父が「猟犬」の話をしてくれた。
私は、いくつになっても
その話を思い出す。
ある日、父が、ふっと思いついたように、
「猟犬は、馬鹿じゃないと獲物を追いかけんとよ」
と話し始めた。
その理由は、
猟犬は、飼い主のGOサインに忠実に従って走っているだけ。
自分が食べる獲物のために、走っているわけじゃない。
そんなことは何も考えずに、必死で追いかける。
獲物を仕留めても、
主人が来るまで、食べもせずに律儀に待っている。
それが猟犬として、ちょうどいい。
しかし、
「賢い犬じゃったら
理由もわからないまんま
一生懸命走ったりせんじゃろ」
というのが、父の話だった。
私は、その話を聞きながら、こう思った。
猟犬て、馬鹿なんだ。
なんか滑稽だなぁ。
カッコ悪い。賢くないってカッコ悪い。
そう思った私も、社会人になり
主に雇われる猟犬の立場になった。
昨日も今日も残業残業。
パートさんで残業しているのは、
私くらいだ。
お昼休みもデスクで食べているので、
電話がかかってくれば、
私がとらなければいけないような無言の圧力。
お昼休みをデスクで潰すパートさんはいない。
これも、私だけである。
別に強要されたわけではないけれど。
「これは私の仕事だ」と思えるところまでは、
きちんとやる、というのが私の考え方である。
それが他のパートさんと線引きが違っているのかもしれない。
そして、結果としてこうなっている。
これでは、父の言っていた「猟犬」と同じだ。
雇い主の言い分を感じ取って、
それに従っている。
私は、猟犬の資質を持ち合わせているのかもしれない。
「私って、馬鹿なんだ。
なんか滑稽だなぁ。
カッコ悪い。賢くないってカッコ悪い」
心の中で苦笑いしてしまう。
しかし、あの頃、感じた気持ちとは違う。
働き続けて、
この年齢になって、
また違う見方がでてきた。
猟犬は自分の仕事をしているだけなのだと思う。
猟犬と私が似ているのは、
「命令されたから」走り出すのではない。
「空気を読んで、自分で走り出してしまうところ」だと思う。
誰かに強く言われたわけではない。
でも、今ここで私が動いたほうがいいと分かってしまう。
そうすると、立ち止まる理由を探す前に、体が先に動いている。
それは忠誠心というより、癖に近い。
頼られると断れない性格。
期待されている気がすると、応えようとしてしまう性分。
その時、猟犬は、
ただ、自分に与えられた役割を、
きちんと果たそうとしているだけ。
私も、そうなのだ。
誰かの役に立つことで、自分の立ち位置を確かめてきた。
走ることをやめると、
自分が何で働いているのか分からなくなる気がする。
それに、
生活費のためだけに働いていると思うと、虚しくなる。
だから私は、賢く立ち回るより、
黙って走るほうを選んできた。
それもまた、
仕事を続けるために必要な知恵のように思う。
賢くはないかも知れないが。

