父と母が特攻平和会館に行った話を、昨日の記事に書きました。
その中でも触れたように、父は戦地での体験をほとんど語りませんでした。
母から聞いたところによると、父は激戦区や前線に行ったことはなかったそうです。
ただ、出兵先が「アジアの南方」であったこと、そして「フィリピンのマニラ」という地名を、私は何度か耳にしたことがあります。
弟には、「もう一回(フィリピン?)行ってみたい」と話したそうですが、残念ながらその願いが叶うことはありませんでした。
私が父から直接聞いた数少ない戦地の話は、「バナナ畑」のことです。
ある日のこと、庭先に立っていた父が、静かな口調で話してくれました。
「お父さんが居た所(戦地)は、畑にずーっとバナナが植えてあったとよ。
畑全部がバナナだけ。他には何にも植えてないとよ。全部バナナ・・・」
その時の父は、まるで戦地に立っているかのように、右手を大きく広げ、端から端までを指さしました。私に、南方の地に広がるバナナ畑の光景を見せてくれているようでした。
そして父は、そのバナナ畑を見て思ったそうです。
「戦争に負けると、こうなるんだ」と。
本来なら、その土地は多様な作物を育て、生活を営む場だったはずです。
けれど戦争に敗れたことで、自分たちの自由にはできず、農業の形さえ変えられてしまったのです。
その後、父はこうも言いました。
「戦争は70年ごとに起きる」
今年は、戦後80年。
幸いにも、日本では再び戦争が起こることなく、この年月を過ごしてきました。
それは、日本に憲法9条があるからかもしれません。
ただ近年、防衛力の強化を求める声を耳にすることが増えてきたようにも感じます。
あの日、庭先で遠い南方の地を見つめていた父の目。
その眼差しを思い出すたびに、戦争の悲劇は二度と繰り返してはならない、と強く願わずにはいられません。
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