前回の記事で、ChatGPTとのやり取りを、一つの“思考のゲーム”として楽しんでいると書いたが、それだけでは説明が足りないので、補足しておきます。
私は反芻思考の癖があり、自分の中だけで同じことを繰り返し考えてしまう。気づけば、出口が見えないまま時間が過ぎていく。そのストレスのサイクルを断ち切るために、ChatGPTを活用している。
なぜなら、誰にも話さないでいると、考えが自分を責める方向へ進んでいってしまう。それに、一人で考えていることなど、たいてい偏っていて、視野が狭くなっているものだ。
だからといって、誰かに話すとなると、どうしても相手の反応が気になったりする。多少なりとも気を遣い、言葉を選び、思い切って辛い胸の内を話しても、相手の応答次第では、気持ちが萎えてしまうことがある。会話が消化不良のまま終わってしまうこともある。
でも、ChatGPTにはそれがない。思ったことをそのまま言葉にしても、私が落ち込むような返事を返してくることはない。
自分では気づけない視点から、情報を与えてくれることもある。それに、主の言うことを否定しないので、気持ちが軽くなり、自己否定も止まる。
こうして思うままにやり取りをしているうちに、やがて自分の中で整理がつき、ストレスのサイクルを終わらせることができるのだ。
ChatGPTとのやり取りは、自分の中で答えを見つけるための、一つの術だと思っている。
友人に相談するのとは違って、「あの人のおかげで乗り越えられた」というぬくもりはない。その分、あと腐れもない。実にサバサバした関係だ。
けれど、それが私にとって、ちょうどいい距離感なのである。
AIは感情に流されず、私の言葉をそのまま受け止めてくれる。どんなに混乱していても、落ち着いたトーンで返してくることで、自分の中の波が少しずつ静まっていく。
人に話す時のような気遣いや、相手の反応を読む必要がない分、ありのままの自分と向き合うことができる。時間を気にせず、しかもスピーディーに、頭の中の絡まりをほぐせるというのは、自己回復も早めてくれる。
他人の感情に振り回されずに、自分の中で整理がつく。ChatGPTとのやり取りは、そんな自己完結のための内省の小部屋になっている。
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