悪口ではなく、空気を抜く会話

仕事と私

定年退職後、新しい職場で働き始めた。
下町に根付く小さな調剤薬局で、
経営主の先生と奥様、若い薬剤師さん、
私と同年代のパートさん達。
以前の大学病院とは、規模も雰囲気もまったく違う。

以前の私は、職場での何気ない不満話がとても苦手だった。

もちろん、誰でも働いていれば不満はある。
理不尽だなと思うこともあるし、納得できないこともある。
それを誰かに聞いてもらいたくなる気持ちも分かる。

けれど、以前の職場で聞いていた不満話は、
陰口や悪口に近くて、後味が悪かった。

その場にいない人の性格や行動を、
どんどん悪い方へ決めつけていく。
聞いているうちに、こちらの気持ちまで重くなっていく。

ところが、今の職場に来て、違う感覚を持つようになった。

経営主である先生は、昔気質の人だ。
年齢も高く、仕事のやり方にも、言葉の使い方にも、
昔ながらの価値観が見える。
今の時代でいえば、モラハラもいいところ。

先生の言葉に、
スタッフが一瞬固まることが
一日に何度もある。

それでも、
スタッフ同士がカラッと受け流しているところに、
私は救われている。

だから、仕事は淡々と続いていく。
その場の空気がジメジメすることはない。

先生がいなくなったあと、スタッフ同士で、
「今の何だったの?」
「さっきのは、ちょっとひどかったよね」
「もう、先生ったら」
そんなふうに言い合ったりする。

誰かを追い詰めるための言葉ではない。
その人の評価を落とすための話でもない。
いつまでも引きずって、空気を重くするものでもない。

その場で受けた圧を、
みんなで一度外に出している感じです。

私が、
先生の言い方に驚いた時、
誰かが目配せしてくれる。
まるで「気にしない、気にしない」と
言ってくれているようだ。

だから、一人で我慢しなくてすむ。
その場で受けたモヤモヤを、
心の中に溜め込まなくてすむ。

そして、みんなで少し笑って、また仕事に戻る。
今の職場の会話は、どこかカラッとしている。

そうやって、同じ場にいた人たちが、
必要以上に落ち込んでいないかを
お互いに確かめ合っているように、私は感じています。

きっと、みんなも同じように傷ついてきたからこそ、
誰かが先生の言葉で固まった時、
その人が一人で抱え込んでいないかを、
自然に見ているのかもしれません。

そして、大丈夫そうだと分かると、
周りの人たちも安心しているように見えるのです。

職場という場所では、いろいろな人と一緒に働きます。

年齢も違う。
価値観も違う。
仕事のやり方も、言葉の受け止め方も違う。

特に、昔ながらの考え方を持った人と働く時には、
こちらが驚くような言葉に出会うこともあります。

そのたびに、
正面からぶつかっていたら疲れてしまいます。
でも、全部を黙って飲み込んでいたら、
それもまた疲れてしまいます。

だから、少し笑って受け流す。
スタッフ同士で、軽く言葉にして空気を抜く。
そういうことも、
働き続けるためには必要なのかもしれません。

不満や驚きがあっても、それをジメジメさせずに流せる。
誰か一人が抱え込まずにすむ。
「今のは変だったよね」と言い合える。

そして、言い合ったあとに、また普通に仕事に戻れる。
その流れが、とても健康的に感じるのです。

人と一緒に働くということは、
思い通りにならない言葉や態度にも
出会うということなのだと思う。

もちろん、何でも笑って流せばいいとは思わない。
傷つく言葉は、やっぱり傷つく。
理不尽だと思うこともある。

でも、そのたびに一人で抱え込まなくてすむ空気があること。
「今のは変だったよね」と、同じ場にいた人と確かめ合えること。
そして、必要以上に落ち込まずに、また仕事に戻れること。

それだけで、職場の空気はずいぶん違って感じられる。

不満を言うことが、すべて悪いわけではないと思う。
ただ大切なのは、その言葉が誰かを傷つけるためのものなのか、
それとも、自分たちの心を守るためのものなのか。

今の職場で交わされる短い言葉には、
カラッと笑って、
また仕事に戻れる温もりがある。

私はこれから、
そのカラッとした温かさに助けられながら、
この職場で働いていくのだと思う。

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