“一緒に怒ってほしい”という気持ち

心を軽くする考え方

友人から相談を受けることがあります。
悩み事の相談と言うより、
家庭内の苛立ちだったり、
職場での怒りだったり。

私は、友人の話を聞きながら
なぜ、そうなったのか?を
考えています。

「うん、うん」と返事をしている間、
友人の怒りは一向に収まりそうにありません。

だからと言って、
「ああじゃないの?こうじゃないの?」と
私の考えを言ったところで、
怒りを沈めることもできません。

私の「うん、うん」は、生返事だと思うのか、
しびれを切らしたように
「ねぇ、わたし、間違ってる?」と聞いてきます。

だからと言って、
ジャッジを求めている訳でもなさそうです。

友人は私に
「その人、仕事できないね」
「ありえないね」
「腹立つね」

そういう言葉を言ってほしいのだと思います。

つまり、
“一緒に怒ってほしい”のです。

人は、怒っている時、
“正しい答え”を求めているようで、
実はそうではないことが多い。

心理学では、
感情は「受け止められること」で
少しずつ落ち着いていくと言われています。

例えば、
転んで泣いている子どもに、

「でも、あなたにも原因があったよね」
「次は気を付けようね」

と正論を言っても、
子どもは、もっと泣いてしまう。

それより先に必要なのは、
「痛かったね」
「びっくりしたね」
という“気持ちへの共感”です。

大人も、それは同じなのかもしれません。

職場で嫌な思いをした時、
家庭の中でモヤモヤした時、

人は、
問題解決より先に、
「それは腹が立つよね」
「嫌だったね」と、
自分の感情を誰かに受け止めてもらいたい。

“私は間違っていないよね”
“こんなふうに感じるのは、
 私だけじゃないよね”

と確認したいのだと思います。

だから、
相談という形を取りながら、
本当に求めているのは、
「答え」ではなく、
“共感”なのかもしれません。

怒りというものは、
時々、徹底的に相手を悪者にしたくなる。

でも私は、
あまり、それができない。

話を聞いて、確かに大変そうだとは思う。
気持ちも分かる。

けれど、相手にも、
慣れないことや不安があるのではないか、
その人の事情や未熟さまで考えてしまって、
怒り切れないのである。

それに、私がそこで一緒になって
誰かを強く悪く言ったら?

人の怒りは、その場で消えるとは限らない。
でも、そこで口にした言葉は、後々残ることがある。

だから私は、
そういう“怒りの輪”の中へ、
自分の言葉を放ちたくない。

言葉は、
思っている以上に長く残る。

こういう性格は、相談相手からしたら、
痒い所に手が届かないタイプだと思う。

それは、
“届かない”のではなく、
“敢えて届かせない”ようにしている。

怒っている人の話を聞く時、
私は今でも、
うまい返事が分からない。

それでも、
相手の気持ちは受け止めながら、
誰かを悪者にし過ぎない言葉を、
探している。

なるべく、
一緒に燃え上がらず、

相手のそばで、
火傷をしない距離を保ちながら、
静かに座っていたいと思っている。

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